きわ。

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「南佳孝 松本隆を歌う」 ④波止場 とホッパー

2023年3月にリリースされた「南佳孝 松本隆を歌う」

2022年に開催された3回シリーズのライブ盤である。

 

港 酒場 南佳孝 誘い

心斎橋のライブで、この楽曲はかなりキタ。響いた。名アルバム7th. Ave Southの一曲であるがゆえ、わたしもこの40年かなりの回数をきいてはいるが、あらためて生で聞くととてもとてもとてもとても沁みた響いた。ああこういう歌か。知ってるけどこうだったのか、というのが南さんの歌には多い。南さんの生歌声は美しい物語を持っているからだ。ステージの照明、奥行き、座ってギターを弾く南さん。そこがバーのカウンターになる魔法。そのアルバムジャケットの絵画、エドワードホッパーの代表作「ナイトホークス」のカウンターが、客席前の照明の中に浮かび上がる。南さんは寂しい夜を歌う。でも感情を顕わにはしない。そこが良い。ただそこに「似合う」景色を歌う。それだけで映画なのだ。この歌詞も部分的に作詞家のご自身投影もあるのだろうか、と疑問文にしておくがきっとあるような気がしてまた心が震えるのだ。それは思い込みという。

 

 

現在の南さんが歌うとこれまた深い。いや待て、オリジナルアルバム1982年の時の年齢でよくこれを!と正直思った。

 

時期は重なる、秋から冬にかけてホッパー関連の書籍をいくつか読んでいた。ホッパーの「ナイトホークス(夜更かしの人々)」は、ヘミングウェイの短編「殺人者たち」から構想を得たものと知る。そして短編集も入手した。絵の中の人物とヘミングウェイが動かす男たちと当てはめたりするのも楽しかった。またホッパーの数々の絵は、逆に小説家にも想像意欲を沸かせるのだろう、絵画から着想を得た短編集の存在も知りいくつか読んでみた。絵の中の(多くは室内)空間が物語を書かせるのか、向き合わない人々の立ち位置がドラマティックなのだろうか、小説家を駆り立てるヒントがホッパーの絵にはあるようだ。

 

南佳孝の「波止場」7th.Ave South を何度も何度も聴いているうちに、自分の中にも「酒場」の男と女が生き動き、もっともっとストーリーを作り込んでいた。あらためて歌詞をみると、思っているよりも短い。ああこれだこれが南×松本作品の醍醐味である。これだった。言葉は少なくても受け取るものがとてつもなく多い。大きい。行間に自由にわたしたちは遊ぶ。遊ばせてくれる。それぞれの耳に入ってそれぞれの波止場のバーの目撃者でいることを許されるのだ。

 

ステージがバーになり、南さんは誘う男でもあるし、その男を見つめながら店で歌う男でもある。このあたり、歌という芸術は実に面白い。4分弱の映画。「ひとりぼっち」というワードは最後に出てくるが、そこまででも、そのワードがなくてもそれなのだ。心斎橋ライブでかなりヤラれた楽曲「波止場」だった。少し良いお酒をグラスに注いで、照明を少し落としてこの歌と向き合う夜を過ごしてみたいが、早寝早起きの体質であるためできないことで人生を無駄にしているような気がする。

 

波止場の女になるためには、あと何度か生まれ変わらなければならない。