きわ。

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『藤井隆 meets 松本隆「ロミオ道行」~再演&外伝~』に向けて① 地球に抱かれて

藤井隆 meets 松本隆「ロミオ道行」~再演&外伝~』を知り

シタゴコロ(必ずライブに行きたい。負けるなハイジ音源欲しい)だけで

数分後にはFC入会。欲とはそんなものだ。

 

リリースは2002年のアルバム「ロミオ道行」

懐かしくなるくらい月日はたった。

そして良い音楽は、改めて「外伝」として帰ってくる。

 

その頃にアルバム全曲レビューをファン数名で綴った。

当時の自分の文章だけ、コピペする。

自分のために。

だってまた20年後に再再演あるだろうし。

 

「地球に抱かれて」作曲はbiceさん。

 

 

当時はケイタイが普及してきた頃

PCも全ての人が持っているわけでもなく

コミュニティもコンパクトで濃かった。

内容的にもインターネットありがとうだ。

そんな頃。文字色もそのまま。

当時はホームページビルダーでサイトを作っていた。

 

以下2002年の記

 

地球に抱かれて 
                     感想 ナツコ

魂のアンテナ

―ほら深くつながっているよ

水のせせらぎ、虫の声、森の音。
音とコトバでわたしは、森を旅する。
色も見える。匂いも感じる。
腕をなでる風さえも 此処に届く。
地球の恵み。五官の働き。コトバのテレポート。

―ぼくたち離れて生きてても

自然の中。
大切なものしかいらない。
余計な電波や雑音はない。

孤独との上手なつきあい方。
後にリリースされたbiceさんの「Cloudy sky」での
”孤独”と 繋がっているのかもしれない。

―君を夢に見よう

この「を」「に」の使い方だけでも わたしは 唸る。
匠の技です。
普通ならば 「君の夢を見よう」とするでしょう。
「夢を」よりも「君を」のほうが、”君”が際だつ。
「君を見る」。
そのあたり、聴いていてうれしくなる。




■■風街に抱かれて               

風待茶房がweb上でオープンしてから
わたしは時々 無意識の「繋がり」を感じる。
それは、「歌」を挟んでの感受のリンク。
感じて受け取ること。それを自分のコトバを探して発すること。
同じ歌を聴いて、よく似たことを感じていた人々との出会い。
共通項は「松本隆さんの歌」だ。
いつも 真ん中に松本さんがいて わたしたちは掲示板やメールで話す。

今回の「ロミオ道行」への想いだってそう。
ここに参加してくださった方のうち、何名かはHNだけのおつきあいだ。

真夜中に起きているひと。真夜中は眠っているひと。
遠いひと。リアルでは出会うことのなかった人々。
電話ではありえない交流。
ましてや どこかの四角い会議室で生まれた連帯でもない。

「ロミオ道行」を挟んで こういう創造的な策略が
進むことがうれしい。
このアルバムには、向心力・求心力がある。
たぶん、そんなことをわたし以外の人も感じているのだろう。

そんな時 「魂のアンテナ」を想う。

わたしたちは、パソコンやネットを道具として
ひとつのものに対峙してみる。

この「地球に抱かれて」の「ぼく」は、プリミティブな空間の中で
自然の精霊を従えて遠い彼女と対話する。

「想う」つよさ。回線にも精霊は憑いているのかもしれない、と想う瞬間がある。

「想い」というキモチ。
地球を覆う蜘蛛の糸。まあるい地球の上のテレパシー。
鳥肌が立つようなシンクロも、時々あるのだから。

有るようで無いようなもの。
ネットのカタチ。
風街をふわっと浮かぶ未確認飛行体が、わたしたちだったら嬉しい。
それぞれの場所で、それぞれの点滅のしかたで。


想いは 呼び合う。想いは語りたがっている。
風街の隅っこで 同じ歌を見つめる。

 

上の「ロミオ道行」は未開封のような気がする。