釜山ドリームシアター「オペラ座の怪人」チョ・スンウ
「離婚弁護士シン・ソンハン」が最終話が配信されたようだが
弁護士のチョスンウを見つめる気持ちにはならない。まだなれない。
Ep.8が配信された日の昼にBusan公演 チョ・スンウ主演「オペラ座の怪人」を観た。
オペラグラスを握る手を大きく震えさせた男、チョスンウ。
それを重く引きずったままだ。
あなたのことは一生わからないであろう。
わかった気持ちになってはいけない。
過去20数年前に「ラブストーリー」も「フーアーユー?」「マラソン」も観ていて“上手い役者“さんという認識はあっても「上手い」レベルがわたし世界では言い表せない。
しばらく韓ドラから離れた年月が長かったのだけど、勧められた「眠りの森」「シーシュポス」で「ああ、あの彼」と糸を結びながら、そういえば熱狂した「賢い医師生活」のチョン・ミドを掘っていくとミュージカル「ドクトルジバゴ」のユーリがチョスンウだった。あとでわかるいろいろ。こういう「あの時、調べたあれが」は後々、恋となる。ジバゴは授賞式の映像を観て「とんでもなく、この二人は歌が上手い」だった。ユーリがスンウだったの。
で、3月半ばに釜山でこの公演のポスターやらフラッグをたくさん観たら「観たい。チョスンウを聴きたい」という気持ちに満ちた。4月1日のマチネ。
舞台に登場した怪人は、最初は怪人だった。でも、この人が本物のチョスンウ?とずっと疑問を持った。わたしが知ってる(知っていない)スンウなの?出発するまで、たくさん歌唱動画は見ていたがそのどれとも違う、この人なんだ?誰なんだ?な怪人。もちろん怪人マスクで半分の顔が隠れていることもあって、オペラグラス覗いてもわからない。誰。思えば。
わたしが多く見ていたヅカ界のオペラ座モノ「ファントム」は最後までオペラ座の麗人なのだ。キラキラだしストーリーの置かれた角度も違う。四季では見ているが、それも麗人枠であった。スンウの麗人姿を思い浮かべることが間違いだ。ああ間違っていましたよ。
そこでは嫌われる対象人物なのだ。あ、最初は人物だったかもしれない。
それが
終盤からは「人物」じゃなく「怪物」「化け物」がそこに居て。わたしが知ってる(知っていない)チョスンウはどこにもいなかった。
あの演じている人はなんなんだろう。
歌唱に関していえば、1部は少し声が濁って聞こえた。歌い始める前にすんごい息を吸う音がスーンと聞こえるので、聞く準備が整う。歌が来そう来そう、きたー!ですね。そして仮面を外したバケモノの感情吐露では言葉は分からなくてもクルものは来る。前屈みになってもあれだけの声量が出るってどういうことよ。肺はどんな仕組みなんだろう。鍛錬です。
あの人はなんなんだろうな。
ドラマでは、歌に興味ないテイでの鼻歌だったり
トロットに心から酔いしれる演技。
あの人はなんなの!
表情が見たくてオペラグラスを握るが、彼の感情と歌の波動に圧倒され手が震え視界はぐちゃぐちゃになった。握る手があれだけ揺れた震えは初めての経験になった。そんな初めての経験がチョスンウで本望。エンタメはこういう「初」がまだまだあるから鑑賞をやめられない。
シンソンハンよりも少しふくよかに(役作りなのだろう)なっているチョ・スンウ。というのも衣装のベストや腿のあたりがちょっとパツパツに見えた。それも良い。そうだ、わたしは過去のファントムの麗人に囚われすぎていたのだ。
チョ・スンウはスンウを消して怪人を生きている。
トリプルキャスト。他の2名の怪人も見たい。
昨年11月にソウルで観た「エリザベート」のときは平日、今回土曜日の午後というのも関連あるかもしれないがミュージカル鑑賞年齢層が驚くほど若い。20代がほとんどのように感じる。韓国は芸能系専攻の“大学“が多いことも関連しているのかもしれない。そして思うのが、ちょっとした中年層はどこへいくのか?トロットか?テレビで見るトロット番組の熱狂ぶりも興味深かった。
離婚弁護士シンソンハンの8話からは後日追いかけよう。まだわたしは劇場のお猿のおもちゃのシンバルの音に囚われているのだ。
どの作品でもいい音源が欲しくて欲しくて探し回る。それも恋。
最近見つけた動画が23年前の初主演ミュージカルの初日までのドキュメント、しかもそれは日本の番組。これからの韓国ミュージカル界期待の星、という制作意図である。貼りたいが消される可能性もなきにしもあらず。彼でドキュメントを撮ろうとした当時のミュ界や制作界がすごいし、それに応え続けているチョ・スンウは選ばれたひとなんだろう。そう、ある意味怪物。
たとえ言語がわかったとしても、あの人のことは永遠にわからない。そして「あなたなんかにわかってたまるか」と超クーーーーールに突き放されたいですね。それは癖。それはまた別の歌。
関連メモ 釜山ドリームシアターアクセスとチケット入手
駅のホームでも流れる音楽。
「南佳孝 松本隆を歌う」 ④波止場 とホッパー
2022年に開催された3回シリーズのライブ盤である。
港 酒場 南佳孝 誘い
心斎橋のライブで、この楽曲はかなりキタ。響いた。名アルバム7th. Ave Southの一曲であるがゆえ、わたしもこの40年かなりの回数をきいてはいるが、あらためて生で聞くととてもとてもとてもとても沁みた響いた。ああこういう歌か。知ってるけどこうだったのか、というのが南さんの歌には多い。南さんの生歌声は美しい物語を持っているからだ。ステージの照明、奥行き、座ってギターを弾く南さん。そこがバーのカウンターになる魔法。そのアルバムジャケットの絵画、エドワードホッパーの代表作「ナイトホークス」のカウンターが、客席前の照明の中に浮かび上がる。南さんは寂しい夜を歌う。でも感情を顕わにはしない。そこが良い。ただそこに「似合う」景色を歌う。それだけで映画なのだ。この歌詞も部分的に作詞家のご自身投影もあるのだろうか、と疑問文にしておくがきっとあるような気がしてまた心が震えるのだ。それは思い込みという。
現在の南さんが歌うとこれまた深い。いや待て、オリジナルアルバム1982年の時の年齢でよくこれを!と正直思った。
時期は重なる、秋から冬にかけてホッパー関連の書籍をいくつか読んでいた。ホッパーの「ナイトホークス(夜更かしの人々)」は、ヘミングウェイの短編「殺人者たち」から構想を得たものと知る。そして短編集も入手した。絵の中の人物とヘミングウェイが動かす男たちと当てはめたりするのも楽しかった。またホッパーの数々の絵は、逆に小説家にも想像意欲を沸かせるのだろう、絵画から着想を得た短編集の存在も知りいくつか読んでみた。絵の中の(多くは室内)空間が物語を書かせるのか、向き合わない人々の立ち位置がドラマティックなのだろうか、小説家を駆り立てるヒントがホッパーの絵にはあるようだ。
南佳孝の「波止場」7th.Ave South を何度も何度も聴いているうちに、自分の中にも「酒場」の男と女が生き動き、もっともっとストーリーを作り込んでいた。あらためて歌詞をみると、思っているよりも短い。ああこれだこれが南×松本作品の醍醐味である。これだった。言葉は少なくても受け取るものがとてつもなく多い。大きい。行間に自由にわたしたちは遊ぶ。遊ばせてくれる。それぞれの耳に入ってそれぞれの波止場のバーの目撃者でいることを許されるのだ。
ステージがバーになり、南さんは誘う男でもあるし、その男を見つめながら店で歌う男でもある。このあたり、歌という芸術は実に面白い。4分弱の映画。「ひとりぼっち」というワードは最後に出てくるが、そこまででも、そのワードがなくてもそれなのだ。心斎橋ライブでかなりヤラれた楽曲「波止場」だった。少し良いお酒をグラスに注いで、照明を少し落としてこの歌と向き合う夜を過ごしてみたいが、早寝早起きの体質であるためできないことで人生を無駄にしているような気がする。
波止場の女になるためには、あと何度か生まれ変わらなければならない。
『藤井隆 meets 松本隆「ロミオ道行」~再演&外伝~』に向けて① 地球に抱かれて
『藤井隆 meets 松本隆「ロミオ道行」~再演&外伝~』を知り
シタゴコロ(必ずライブに行きたい。負けるなハイジ音源欲しい)だけで
数分後にはFC入会。欲とはそんなものだ。
リリースは2002年のアルバム「ロミオ道行」
懐かしくなるくらい月日はたった。
そして良い音楽は、改めて「外伝」として帰ってくる。
その頃にアルバム全曲レビューをファン数名で綴った。
当時の自分の文章だけ、コピペする。
自分のために。
だってまた20年後に再再演あるだろうし。
「地球に抱かれて」作曲はbiceさん。
当時はケイタイが普及してきた頃
PCも全ての人が持っているわけでもなく
コミュニティもコンパクトで濃かった。
内容的にもインターネットありがとうだ。
そんな頃。文字色もそのまま。
当時はホームページビルダーでサイトを作っていた。
以下2002年の記
地球に抱かれて
感想 ナツコ
■魂のアンテナ
―ほら深くつながっているよ
水のせせらぎ、虫の声、森の音。
音とコトバでわたしは、森を旅する。
色も見える。匂いも感じる。
腕をなでる風さえも 此処に届く。
地球の恵み。五官の働き。コトバのテレポート。
―ぼくたち離れて生きてても
自然の中。
大切なものしかいらない。
余計な電波や雑音はない。
孤独との上手なつきあい方。
後にリリースされたbiceさんの「Cloudy sky」での
”孤独”と 繋がっているのかもしれない。
―君を夢に見よう
この「を」「に」の使い方だけでも わたしは 唸る。
匠の技です。
普通ならば 「君の夢を見よう」とするでしょう。
「夢を」よりも「君を」のほうが、”君”が際だつ。
「君を見る」。
そのあたり、聴いていてうれしくなる。
■■風街に抱かれて
風待茶房がweb上でオープンしてから
わたしは時々 無意識の「繋がり」を感じる。
それは、「歌」を挟んでの感受のリンク。
感じて受け取ること。それを自分のコトバを探して発すること。
同じ歌を聴いて、よく似たことを感じていた人々との出会い。
共通項は「松本隆さんの歌」だ。
いつも 真ん中に松本さんがいて わたしたちは掲示板やメールで話す。
今回の「ロミオ道行」への想いだってそう。
ここに参加してくださった方のうち、
真夜中に起きているひと。真夜中は眠っているひと。
遠いひと。リアルでは出会うことのなかった人々。
電話ではありえない交流。
ましてや どこかの四角い会議室で生まれた連帯でもない。
「ロミオ道行」を挟んで こういう創造的な策略が
進むことがうれしい。
このアルバムには、向心力・求心力がある。
たぶん、そんなことをわたし以外の人も感じているのだろう。
そんな時 「魂のアンテナ」を想う。
わたしたちは、パソコンやネットを道具として
ひとつのものに対峙してみる。
この「地球に抱かれて」の「ぼく」は、プリミティブな空間の中で
自然の精霊を従えて遠い彼女と対話する。
「想う」つよさ。回線にも精霊は憑いているのかもしれない、
「想い」というキモチ。
地球を覆う蜘蛛の糸。まあるい地球の上のテレパシー。
鳥肌が立つようなシンクロも、時々あるのだから。
有るようで無いようなもの。
ネットのカタチ。
風街をふわっと浮かぶ未確認飛行体が、
それぞれの場所で、それぞれの点滅のしかたで。
想いは 呼び合う。想いは語りたがっている。
風街の隅っこで 同じ歌を見つめる。
上の「ロミオ道行」は未開封のような気がする。
釜山ドリームシアター「オペラ座の怪人」アクセス
2023年4月1日に釜山Busan ドリーム・シアター
「オペラ座の怪人」マチネ公演を観に行った。
釜山公演は6月18日まで。怪人はトリプルキャスト。
その後、7月からソウル公演。
取り急ぎ釜山ドリームシアターのアクセス。
購入は global Inter park
昨年「エリザベート」ソウル公演の際もチケットをここで確保した。
今回手数料は2000krw
釜山地下鉄2号線 国際金融センター・釜山銀行前駅3番出口を探す
フラッグが迎えてくれる。
この日、主演チョ・スンウは2公演目ということだ。
それらしい人たちについていくのが見知らぬ街歩きの鉄則。
このホテルの右側にe-martがある。その左側に建物入り口があるので
薄暗いけど入る。1階(だと思うが)薄暗いフロア。
ひたすら、それらしい人についていく。
入って左奥にエスカレーターがある。わかりにくい。
それらしい人についていく。
そして
(本当にここだろうか?)(劇場の案内ないから不安なまま)
どんどん上がる。
ここだ。わたしは代行チケットを予約しているので早めに到着したが
既に多くの人が認証ショットの列を作っていた。本気の「映え」「自撮り」文化。
14時公演。この時で12時半ごろなので余裕で撮影はできた。
これは女性用お手洗いまでの階段。薔薇まみれ。
この撮影だけでも5分ほどの列。
グッズ購入のための支払いマシン。選択、カード支払い、レシートを持って
右にあるブースで交換。パンフレット12,000krwを購入。
みなさんは専用紙袋も購入していた。
流石に新しい劇場。音響も申し分なく、2階席でもハイバックのため、前列の
頭の動きが気にならない。ずっと座っていたい。わたしは2階5列の通路側。
この認証ショット行列15分から20分。
後ろにいたカップルに「わたしと薔薇」を撮影してもらった。
恥ずかしさもなく、お願いできる年齢になったのだ。
そこで驚いたのが、連写するのね。行列時間が長いのは
撮影にとっても時間をかけるから。前のカップルはひとり2分くらい
ずっとシャッター押してた。その中から良い写真を選ぶのね。
不思議なのは「二人」「一緒」では撮影しないの。
後々のことを考えてなのだろうか。
「二人でいく」のは撮影者確保のためなの?なんてソロ活動のわたしは
妬みながら考えたりもしたわ。
1部、休憩20分か30分、2部。計150分プラス。
ソワレだったら、午後便の関空発で渡って1泊2日できる。
釜山の金海空港は街まで近くて、鉄道と地下鉄使っても乗車は30分で
劇場最寄駅まで行けるんですよね!誰に訴える。
チケット狩猟やアクセスに不安がある方は
自分が経験したことならお伝えできます。
最後に「行きたい衝動」に駆られたチョ・スンウの歌唱を貼ります。
ドラマ「離婚弁護士シンソンハン」も別人です。
スンウが演じると全て別人。
いつもならすぐに感想を伝えたい人に
メッセージを送るのですがそれすらできなかったんだなあ!
これは以前の音楽番組での歌唱。
シンソンハンとは別人でしょう。それが
「南佳孝 松本隆を歌う」③ ジョンとメリー どこまでも粋
南佳孝アルバム「LAST PICTURE SHOW 」リリースは1987年。実は当時は購入していない。音楽雑誌は読んでいたので、そのアルバムが松本隆が絡んだもの、全て映画のタイトルというコンセプトは知っていた。そっか87年なんだ。松本さんと名画タイトルの融合なんて、めちゃ渋いに決まっているとは想像していた。当時はソニーさんを聴く余裕がなかった。
それから廉価版が出た頃に、一連のソニー南作品をまとめて買ったような記憶だ。のちに吉田保さんのリマスタリングもタワレコ限定で発売され喜んで購入をした。
そのアルバム「ここを聴け!by わたし」は「ダイナー」と「ミーンストリート」の「間」の絶妙さだ。爽快!ある意味、行間。この音のない拍とそれに続くミーンストリートに痺れまくった。制作側のこだわりか。心がパンと跳ねる。
LAST PICTURE SHOWの再現ライブは既にあったのでしょうか。今回ライブで「ジョンとメリー」を聞きながらその名盤アルバムを想った。正直「冒険王」より「ラスピク」の世界が好みなのだ。好みの問題なのだ。映画タイトルだしね。心斎橋のライブでこの歌が始まり、歌詞を噛み締めながら想像の映写機を動かした。「響く雨」うはー。“聞こえる““聞く“ではない「響く」という言葉の選択。はあーん、だから大好き松本作品。響くの響きが好き。響く、ことで奥行きを感じる。どこかに響くのだ。そりゃあ耳石だったり頭蓋骨だろうが、歌の中では曖昧な時間に響いているのだろうか。ここからたまらない。ありがとうございます。
景色としては、ドア、部屋、硝子屋根のペントハウスというワードだけなのに聞くものの網膜には、カーテンの色、大きな瞳、彼女が羽織るシャツの素材、小さなキッチンやコーヒーカップが存在する。ああ、これぞ松本作品。聞いて鮮やか。視覚に刺激。心斎橋も大手町も有楽町にも、このお洒落な屋根裏部屋が存在した(ように思えたのだった)。そして現在ディスクで手元に届き、その分室を分けてもらっている感じ。
ピアノの松本圭司さんの演奏は、ピアノが打楽器ということを改めて感じる。「はじく」「打つ」ピアノ。打ったあともきっと「気」でコントロールしているかのようなロマンティックな余韻。キーボードとサクソフォンととても大忙しな住友紀人さんは、歌に色を置く。タッチは様々な色彩。「ジョンとメリー」のサウンド、お二人が奏でるのは紗のような光の重なりに感じる。そして南さんはギターですね。この3名だけの音とは思えない。聞いていて心地よくてたまらない。
「独り暮らし」「「淋しさ」「孤独」というワードがあってもなぜか湿っぽくはない。南×松本フィルターの向こうは「粋」となる。たぶん愚痴っても粋。孤独を自覚している主人公がこれから恋を始めてみようとするなんて素敵じゃないか。「ジョンとメリー」ちなみに映画は「ジョンとメリー」1969年制作 ダスティンホフマンとミアファロー。24時間の恋のストーリー。
くどいですけど「LAST PICTURE SHOW」の再現ライブ開催をお願いします。
「南佳孝 松本隆を歌う」を聴く② 月に向かって 全部じゃん。
最初に告白する。
南佳孝さん「月に向かって」
この松本隆を歌うシリーズを聴くまで人気楽曲であることは知ってはいたが、わたしは実は熱い思い入れがなかった。そこにヒリヒリするような強烈なシーンが繰り広げられるものでもなく、カウボーイが顔を帽子で覆って寝転ぶような休息のイメージ。オリジナルはアルバム「MONTAGE」1980年。すまんけどこのアルバムの中では、ちょっとひと休みしようか、な位置だと思い込みが間違い。
間違い。気づいたのは22年9月の心斎橋ライブだ。シリーズ1回目。
ポロポロポロ。鱗が落ちるSE。
これ以前のあれや、後々のあれや、これや。全部じゃん。因数分解するのにもってこいな松本作品だ。「スローなブギにしてくれ」のワールドワイド門戸から、この楽曲に飛ぶと佳孝作品を論じる角度もありありのありだ。
なるほどなあ。この歌詞に出るアイテムは、のちのちの「あの歌」「あの別れ」「人生観」じゃないの!というのも、現在の南さんが歌っているからわかること。お二人の領域。美しい域。
この歌のリリース時点で、松本さんの生き方が垣間見えブレてない確認。引き算検算を何度もしても43年前ですか、そうですか。
総括 かっこいい。
「生きのびちまった」至高のハードボイルドなセリフ。のびちまった、がひらがななのが良い。ほんとにため息まじりの本音に感じるから。佳孝さんの歌唱で、松本ファンは勝手に松本さんの本質を探す(回答は知らない)(それがファン)ことが、んっっとに楽しみなのである。それは79年ごろから。生きのびちまった。このさきずっと歌い続けてほしい。ずっと歌い続ける「先」にまた新たな発見があるに決まっているから。南さんの歌唱がもうドラマなんだもの。いろんな「気づき」をしたいし、その度に「わー!やられた!かっこいい」と叫びたいのだ。
「南佳孝 松本隆を歌う Simple Song 夏の終わりに」にとても感動している ①Girl
書きながら気づくこともある。
追記あり。3/25
OK Google プレイリスト南佳孝、松本隆を歌うをかけて
SimpleSong 夏の終わりにを再生します。
Googleホームはとても律儀にアルバムタイトルをフルで言ってくれる。ありがたい。
Googleホームは時々、話が通じないこともあるのに、
このアルバムに関してはすぐに反応してくれた。
そしてリビングで2枚組をきくこと4周目かしら。(かしら)聞いても聞いても飽きない。
聞き終わるとまた「OK Google」の繰り返しだ。こんなに没頭したアルバムも久しぶりだ。
あっという間に夜だ。
2022年9月に大手町で行われたライブ盤が3月22日にリリースされた。
松本ファンであるが故、当日も出かけた。とても気持ちの良い日曜だったような記憶。
ピアノとサックス+キーボード、そして佳孝さんの3名というステージ。メンバーが少なくて驚いたが「摩天楼のヒロイン」の再現は鮮やかだった。
矢野誠さんがもしこれを聞いたら、どんな感想を抱くだろうか。
それにしても。
1973年にこの世界観が存在していたということを改めて想い、
とんでもない人たちだなあと首を傾げてしまう。はあ?
知ってるけど。
しってたけど。
少なくとも松本さんは未来と過去を行き来して、
本当は忙しいのに「現在」でふわりとお茶を飲んでいる。
わたしは歌詞カードをめくってもめくっても「松本隆」で、
こういうことがわたしのしあわせなのだと噛み締めている。
とりあえずGirlへの想いが湧いている
このライブアルバムはとても良い。音が良い。選曲、曲順、演奏、もちろん良い。そしてなんといっても南さんのボーカルが良い。日々のカバー曲の練習や、体躯などの鍛錬の賜物でしょうか。いい、とてもいい。2022年の「Girl」が盤になったことも大変な喜びだ。「Girl」ですよ「Girl」心斎橋のセトリにはなかった「Girl」イントロのピアノが薄い花びらのようだ。
Girlって直訳少女ですけど、もう南さんが歌うことによってその「少女」枠は取っ払われるのだ。「女神」と捉えたい。だって生き方を変えてしまう目力なんですもの。そして、現在の年齢の南さんがお歌いになっても、ソレは「青い恋」とか「若い春」でもないのだ。"抱きしめたい"のは「君」だけれど、対峙する「運命」かもしれぬ、と深読みしたくなるボーカルなのだ。ラブ南氏。
この楽曲は、松本隆監督作品、映画「微熱少年」の大切なサントラ曲でもある。ビートルズに憧れたドラマーが主人公の小説が原作である。オリジナル「Girl」イントロ無しで「抱きしめたい」= I Want To Hold Your Hand でリスペクトビートルズであろう。冒頭バーン!は「スローなブギにしてくれ」もそうです。「掴み」は南×松本タッグの名人技なのは、ここで書き残さなくても万人が承知していることだ。
実は2021年の11月のBillboard大阪でも「Girl」を聞いた。この歌=映画のシーン(武道館外観)の印象が強く、その日は松本さんの周年武道館公演の直後だったからほんとに驚いた。武道館へ行けなかった自分には、その時のGirl 鑑賞で「わたしだけのブドウカン」だったのだ。
ラブソングをこれだけ美しく歌う人。天命シンガーなんでしょうね。
佳孝さんが歌い続けることで、わたしはいろんなことを思い出す。そして新しい思い出をまたもらう。芸術のお仕事ってすごいなあ。このライブ盤にとてもとても感動している。
Girlのはらはらとしたピアノのイントロから色彩を感じるし、
“蝶のように結んで“は、松本作品の超尊いモチーフであるし。
2022年の佳孝さんが歌う「Girl」は、本当に良い。
音楽の女神への祈りのように感じたのだ。
取り急ぎアルバム全体を書きたかったのに、Girl集中になってしまい
①とつけてみた。ただ、ここはすぐに削除するかもしれないし
②を忘れるかもしれない。このライブのシリーズ3回あり、松本さんとのトーク内容は
それぞれ異なる。ソレらも思い出そうかな。約束はできない。
とりあえず名曲ばっかりで、
聴き始めて何度、涙したことか。それも過去の思い出の涙というより
「はっ」とする鮮度を感じての、涙。
南×松本作品の鮮度保持ってどうなってるの。羨望。
良いライブを盤にしていただいてありがとうございます。
と、ラジオ番組にお便りを書いてみようかな。
追記
Girl 歌詞の中の「君」は「音楽」か!
ずっと音楽を貫いている南さん、今歌うことに意味があるような
気がした。
音楽を愛してる と受け止める。